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アメリカ本土を爆撃した男―大統領から星条旗を贈られた藤田信雄中尉の数奇なる運命



感想
 アメリカに攻撃したイメージは真珠湾が強い印象だったのでこの本の題名にひかれて読んでしまった。本土、それもオレゴン州ブルックリンの太平洋、カナダよりの場所に焼夷弾を落とした人物が居たとは思わなかった。また作戦の内容がすごい。潜水艦でアメリカの海岸に近づき、そこから水上機を使い爆撃に挑むなど当時世界初でもあった。こんな偉業を私はこの本を読むまで知らなかった。その辺も日本が戦争に負けたので政府が隠していた話も書かれている。作戦の話もおもしろかったが、実行した人物もドラマがあった。戦後も苦労している。金物屋を経営し金属会社にまで発展させたが、30年後息子の代替わりで会社は倒産。高齢になって仕事をしなくてはいけなくなるが、またそこで頑張り、電線会社で取締までになる。戦争を生き抜いた人の力を感じとれた。これだけでもおもしろいが、他のエピソードのほうがいい。ブルクッリンとの親善の話だ。戦後20年目に爆弾を落とされた側から日米親善でブルックリンに藤田さんが招待されるのだ。藤田さんは最初何かの陰謀ではないかと疑い、行けば殺されると思っていた。だが実際行ってみると大歓迎され、本人は拍子抜けする。日本刀を持って自決する覚悟できていたのでその気持ちがなくなるシーンはいい。それも藤田さんは歓迎に報いる形で日本刀をブルックリンに寄付するあたりはかっこいい。彼らの親交は長年続いていくのだが、藤田さんのブルックリンの人を日本に呼んで恩返ししたい気持ちなど、金がないのにけなげな所が好きだ。
 ブルックリンの人の寛大さはすごく評価したい。普通爆弾を落とされて、相手を許せるなどできるだろうか?私なら落とした相手を大手を振って呼べない。許せないかもしれない。ただ、焼夷弾は森林に落とされ死傷者が出ず大事にならなかったのは運命かもしれない。死傷者が多く出ていたら呼べるだろうか?この本を読んでこの辺が心に残る一冊だった。

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藤原道長の日常生活


ポイント
道長の生涯と生活などを道長の日記「御堂関白日記」の資料や
道長について周りの人物の日記「小右記」・「権記」なども資料としていろんな観点から描いている

感想
道長の人物像が見えてきた
道長は感情表現が豊かで家族に対して特に感情をあらわにする
逆に自分が嫌いな人物には日記で愚痴を書いていたり冷酷に接してもいた
道長は権力に無理やりついたように見えるが父藤原兼家の五男だった
本当は関白になるような人ではなかったが、兄弟が早くなくなり若いうちに摂政になっていた
若いうちに権力を握れたので娘を天皇に嫁がせることができたのも納得できた
和歌についても書かれているが、あの有名な「望月の欠けたる事も無し」の和歌以外に道長は和歌の才能がなかったようだ
宮廷の生活もハードで夜通し会議や儀式があって健康はよくなかったようだ
道長の時代は災害に放火・盗賊・物怪などけっこうたいへんで何もかも思いがままにいくわけじゃなかった点が読んで分かった

なぜ江戸の庶民は時間に正確だったのか?


ポイント
時代考証家によるドラマ、映画、バラエティなどの時代劇のウソを解く
時代劇ではなぜそういう演技になるのか解説
感想
時代劇の演出で当たり前と思っていたことがくつがえりました
江戸時代、時間を知るのに鐘を始め3回ついてそれから時刻の数だけ鐘を鳴らしていた
テレビによっては回数を気にしないで鐘の音だけで何時か分かる演出をしていたと解説してくれて分かりやすい
私が印象に残った話は、ねずみ小僧が千両箱は盗んでいなかった
一回の盗みの最高は430両で合計3081両盗んでいた
少しずつ盗んでいたようだ
実際当時の小判の重さを考えると千両箱で17キロぐらいで鍛えていれば担いで飛び跳ねたりできたんではないかと話があって面白い
刀のさやで刀を受けるのは無理など他にも当たり前の時代劇の演出の裏、特に江戸時代のなぜにせまって楽しかった
この本を読んでから時代劇を見ると演出が気になるようになりました

歴史を読む(豊臣家の最後の姫 天秀尼の数奇な運命)


ポイント
豊臣秀頼と側室の間に生まれた姫(天秀尼の生涯をノンフィクション風ドラマで描く
豊臣家がどう徳川家に滅ぼされていくのか、徳川家康の子孫で豊臣秀頼の正室千姫と天秀尼の悲しい親子愛を展開
感想
豊臣家滅亡のインパクトを与える構成が3分の2、残りを天秀尼の話が最後にぐっと話を凝縮して終わる演出はよかった
天秀尼は出生を隠されたまま7歳まで秀頼に会うこともなく育てられ、大坂夏の陣で初めて会う
滅亡後に兄国松は斬首され、天秀尼は徳川に捕まり7歳で尼になるよう東慶寺に入れられる
東慶寺に入ってから、第二十世の住職になり、会津藩加藤家に従えた堀主水(ほりもんど)の妻をかくまって、加藤家から守りぬく
加藤家が堀主水を捕まえようとした理由は勝手に藩をやめ、鉄砲で城に発砲し、橋を燃やして藩を出たことからだ
ただ堀主水は加藤家当主から日頃からひどい待遇にあって、出て行かざるえなかった
天秀尼はその妻を守り切り、加藤家を改易に追い込む
東慶寺は女性のための縁切り寺としてかっこたる地位を築いて貢献した
天秀尼は若くして悲しい運命に翻弄されるがその運命を受けい入れ強く生きていく姿は感動した

歴史を読む(江戸時代の古文書を読む 寛政の改革)


ポイント
老中松平定信の寛政の改革についての古文書を使い、原文、解読文、読み下し文、解説を付け加えて分かりやす紹介
松平定信の生い立ち、老中になる経緯も掲載
付録に年代・西暦・干支対照表、主要かな文字早わかり表、おもな異体字・合字、江戸時代の主な単位など掲載
感想
松平定信が八代将軍徳川吉宗の孫だとは知らなかった
31歳で老中(現代では内閣総理大臣)になれたのも納得だ
古文書の解説が分かりやすいので勉強になったし古文書の内容がおもしろい
特に気に入っているのが天明の打ちこわしの解説だ
天明の打ちこわしは米屋や質屋、酒屋などが襲われたが、家を壊したり米をぶちまけた
ただ米を略奪しようとしたわけではなかったのは初めて知った
飢えに苦しんでいたが自分たちの気持ちを表すために統制されていた
もし盗みを働けば制裁を加えて、盗品を奪い返して捨てていたとは思わなかった
逮捕者も北町奉行所で37名で指名手配犯が5名だった
逮捕者は盗みなどを犯したもので、打ちこわしに参加したものは千人くらい捕まったがすぐに釈放された
釈放された理由が喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)という理由だからだ
これを使って打ちこわす側が商人に喧嘩を吹っかけて打ちこわす発想がおもしろい
寛政の改革のことより打ちこわしの方が興味を持ってしまった

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